「酒でコミュニケーションを取るのは古いのか?」を深読み!

今回読み解く記事

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「飲みにケーション」は終焉?

「飲みニケーションは時代遅れ」

ここ数年、この言葉を耳にする機会が増えた。

若い世代では飲み会に参加しない人も増え、会社でも歓迎会や忘年会を廃止する企業が珍しくなくなった。
アルコールハラスメントという言葉も定着し、「酒を飲まない自由」が尊重される時代になったのだ。

一方で、「仕事の転機は酒席だった」「お酒があったから今の人間関係がある」と語る人も少なくない。
私もその1人である。

では本当に、酒でコミュニケーションを取る時代は終わったのだろうか?

古くなったのは「飲みにケーション」ではなく「酒を強制すること」

「飲みニケーションは古い」と言われる背景には、酒そのものではなく、
「飲酒を強制する文化」への反発があると私は考える。

かつては、「飲めば仲間」「飲めないと付き合いが悪い」といった空気が確かに存在した。

「とりあえず一杯」
「今日は無礼講だから」
「若いんだから飲め」

そんな言葉とともに、酒を断りにくい場面を経験した人も少なくないだろう。

しかし、飲酒は本来、個人の自由な選択である。
体質的に飲めない人もいれば、健康上の理由で控えている人もいる。

こうした多様な背景が理解されるようになった現在では、
「飲まない自由」を尊重することが社会の共通認識になりつつある。

つまり、時代遅れになったのはお酒ではない。
「飲まなければ仲間になれない」「飲まない人は付き合いが悪い」という価値観なのだ。

酒には人の心を開きやすくする力がある

だからといって、酒の役割が消えたわけではない。

心理学では、適量のアルコールによって緊張が和らぎ、自己開示しやすくなることが知られている。
もちろん飲み過ぎれば判断力は低下し、トラブルも起きやすくなる。

しかし、酒を囲みながら、普段は話せない本音を語り合った経験がある人は多いはず。
私自身も、まさにそう。

酒席で仕事の相談から新たな企画が生まれたこともあるし、
しんどい悩みを聞いてもらい、涙したこともある。
今こうして働いていられるのは、酒席で紡いだご縁があったからといっても過言ではない。

そう、酒好きにとって酒は「人と人をつなぐ潤滑油」であり、「縁紡ぎ」の象徴なのだ。

縁を紡ぐ文化は残っていく

私自身、お酒は「縁を紡ぐもの」だと思っている。

乾杯には「これからよろしくお願いします」という願いがあり、
再会の一杯には「また会えた」という喜びがある。
祝い酒もあれば、別れを惜しむ酒もある。

日本にはこうした酒を酌み交わしながら、人との縁を育んできた文化がある。

一方で、お酒が苦手な人や体質的に飲めない人もいる。
その事実を尊重することは、今の時代には欠かせない。

だからこそ、「飲むこと」を前提に人間関係を築こうとするのではなく、
飲む人も飲まない人も心地よく同じ時間を過ごせる場をつくることが大切なのだ。

これは酒文化を否定することとは違う。
むしろ、強制や同調圧力がなくなった今だからこそ、お酒は「好きな人が、好きな人と楽しむもの」という
本来の姿に戻りつつあるように思う。

飲みニケーションは進化している

では「飲みニケーション」は終わったのだろうか。?

私は、そうは思わない。
ただ、その形は確実に変わってきている。

以前のように「全員が酒を飲むこと」を前提にした場ではなく、酒を楽しむ人も、
ノンアルコール飲料を選ぶ人も、同じテーブルを囲み、それぞれが心地よく過ごせる場へと変わりつつある。
グラスの中身は違っても、笑い合い、語り合い、縁を深める時間の価値は変わらない。

私は、「酒はこれからも人と人との縁を紡ぐ存在」であり続けると思っている。
ただし、その縁は誰かに飲酒を強いることで生まれるものではない。

お互いの価値観を尊重しながら、一緒の時間を楽しむこと。
その延長線上にある一杯だからこそ、意味がある。