【連載2】中しまりんの琴線深読みLab ~脳・身体・細胞を調律する、箏と音の科学~

「箏のことは知らないのに、なぜか懐かしくて涙が出る」

そんな感想を多くいただきます。

「琴線」とは、心の奥にある感動の糸であり、箏の弦そのもの。

ここは、箏Remedist・中しまりんが、音楽心理療法や量子力学の視点でその「不思議」を紐解く場所です。

脳が安らぐ周波数から、細胞を震わせる振動まで。

音が持つ「見えない力」を可視化し、あなたの心身を美しく調律するための実験室(ラボ)へようこそ。

その「記憶」はどこにある? 70年の時を超えて動き出した指先が教えてくれたこと

~「もう歳だから」は脳の思い込み? 音楽が呼び覚ます身体の記憶~

「昔のことだから、すっかり忘れちゃったわ」

年齢を重ねると、ついそんなふうに諦めてしまうことはありませんか?
私たちは無意識のうちに、自分の可能性に蓋をしてしまいがちです。

しかし、私たちの身体、そして37兆個以上あると言われている細胞は、頭(思考)よりもはるかに賢く、過去のすべてを記憶しているとしたら?

今回は、ある80代の女性が体験した「70年越しの驚き」と、私たちの中に眠る「音楽と身体記憶」の不思議な関係について深読みします。思考のブレーキを外し、細胞の声に耳を傾けるとき、私たちはいくつになっても、本来の自分を「再発見」できるのです。

「私にはできない」と繰り返していた80代女性

ある日、私が定期開催しているお寺での箏体験講座に、少し緊張した面持ちの80代の女性がいらっしゃいました。娘さんに連れられて参加されたその方は、お話しを伺うと、小学2年生の頃に少しだけ箏を習っていたとのこと。

しかし、箏に触れるのはそれ以来、実に70年以上ぶりだそうです。

講座が始まる前、女性は私の顔を見て、申し訳なさそうにこう繰り返しました。

「もう昔のこと過ぎて、何も覚えていないの」

「指だって動かないし、私には無理よ」

娘さんとしては、きっとお母様に喜んでもらいたい一心でのサプライズだったのでしょう。
あえて詳細を伝えずに連れてこられたその女性は、箏を前にして少し戸惑い、不機嫌なようにも見受けられました。

しかしその言葉や表情の奥には、単なる拒絶というよりも、
「今の私に弾けるはずがない」という不安や諦めが潜んでいるように感じられたのです。

けれど、私はこれまでの経験から、ある予感を持っていました。

「それでは、まずは曲を聴いていただこうと思います。昔お箏をされていたとのことで、この曲はご存知ですか?」

そう伝え、私は箏の基礎とも言われる名曲『六段の調べ』を弾き始めました。

思考を超え、勝手に指が動き出す瞬間

最初の一音が響き、旋律が進むにつれて、

「覚えていない」と頑なに言っていたその女性の身体が、小さく揺れ始めました。

そして、彼女は無意識のうちに口ずさみ始め、膝の上に置かれたその指先は糸を弾き、
左手は糸を押さえる所作を始めたのです。

私の演奏が終わると、女性はご自身でも驚いた様子で、
それから実際に「箏に触ってみましょう」と体験を進めることができました。

頭(脳の意識領域)では「忘れた」「弾けない」と判断していたのに、
身体(細胞・無意識領域)は、70年前の感触を鮮明に覚えていたようです。

これは、この女性に限った特別なことではありません。
私がシニア施設で演奏を行う際も、同様の光景を何度も目にしてきました。

普段は会話が難しい方や、表情が乏しくなっている方でも、
昔お箏をされていたという方は、『六段の調べ』や『さくらさくら』の旋律が流れた途端、
一緒にメロディや糸の絃名を口ずさみ、正確なリズムで空中に指を走らせるのです。

「手続き記憶」というヒント

なぜ、頭で忘れたはずのことを、身体はこれほど正確に再現できるのでしょうか?

神経科医オリヴァー・サックス博士の著書『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』に、
そのヒントとなる興味深い記述があります。

サックス博士は、重度の記憶障害を持つ患者たちが、
音楽に関しては驚くべき能力を発揮し続ける事例を数多く紹介しています。

私たちの記憶にはいくつかの種類がありますが、その中には言葉で説明できる「宣言的記憶(エピソード記憶)」や、
自転車の乗り方や楽器の演奏のように身体で覚える「手続き記憶」といった分類があります。

興味深いことに、認知症や加齢によって「昨日の出来事」のような宣言的記憶が失われても、
音楽に関わる「手続き記憶」は、脳の非常に堅牢な場所に保存され、最後まで破壊されずに残ることが多いと言われているのです。

実際、あの日お寺で出会った女性にも、嬉しい変化が起きました。

『六段の調べ』演奏後の体験時間中、女性は、箏を習い始めた経緯やお稽古の様子など、
当時のエピソードを次々と、実に楽しそうに話してくださったのです。

音楽と身体の動きが呼び水となり、薄れていたはずの記憶の扉が一気に開いた瞬間でした。
「どう指を動かすか」という身体のプログラム(手続き記憶)が刺激されたことで、
それに付随する思い出(宣言的記憶)までもが、鮮やかに蘇ったのかもしれません。

琴

「細胞に委ねる」という生き方

このエピソードは、私たちに「年齢との向き合い方」について、大切な”気づき”を与えてくれます。

私自身、50代になり、同世代の友人たちと話すと、どうしても「できないこと」の話題が増えます。
「目が悪くなった」「体力が落ちた」「新しいことが覚えられない」。

私たちは無意識のうちに、自分の限界を「頭」で決めつけ、可能性を狭めてしまってはいないでしょうか。

しかし、80代の女性の指が勝手に動いたように、私たちの細胞一つひとつは、私たちが思う以上にポテンシャルを秘めています。

「頭で考える」ことを少し手放し、「身体(細胞)の声を聞く」。

「無理だ」と否定する前に、まずは細胞に身を委ねてみる。

そうすることで、身体は思い出したかのように、本来のリズムを取り戻し始めます。

これは演奏に限った話ではありません。
若い頃に夢中になったこと、好きだった場所、心地よいと感じた感覚。
それらに再び触れたとき、理屈を超えて心が震えるなら、
それはあなたの細胞が「正解」だと教えてくれているサインです。

ミッドライフからの「再調律」

現代社会では、どうしても「若さ」や「新しさ」に価値が置かれ、
歳を重ねることはネガティブに捉えられがちです。

しかし、樹木が長い年月をかけて年輪を刻み、太く逞しくなっていくように、
あるいは、革製品が使い込むほどに持ち主に馴染み、味わい深い艶を帯びていくように、
時間を経ることでしか得られない「深み」というものが、世の中には確実に存在します。

私たちの身体に蓄積された記憶や経験もまた、
決して古びて消え去るものではなく、時とともに豊醸されていく財産です。

「もう歳だから」と、自分で自分の可能性を閉ざさないでください。

あなたの細胞は、あなたが忘れてしまった「喜び」や「能力」を、まだ覚えています。

必要なのは、それを呼び覚ますための、ほんの少しのきっかけ
――例えば、懐かしい音楽や、心震わす体験――
だけなのかもしれません。

頭でコントロールしようとするのをやめ、内なる感覚に耳を澄まし、信じて委ねてみる。

そんな「身体への信頼」こそが、人生の後半戦を美しく奏でるための、一番の秘訣なのだと思います。

連載第一回目はコチラから。

※参考文献:『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』オリヴァー・サックス著(2010 早川書房)

プロフィール

中しま りん /  箏アーティスト・箏Remedist

富山県出身。5歳より箏を始める。シンガーソングライターを経て、2004年より箏アーティストとして本格的に活動を開始。ピアノやギターとのアンサンブルを軸に、伝統の枠を超えた音楽制作を行う。

2025年には、自作曲『爛漫』がゆずの楽曲『尤』(テレビアニメ『ポケットモンスター エピソード:メガシンカ』主題歌)のモチーフに採用されたほか、日本テレビ系ニュースのお天気テーマへの楽曲起用、文化庁事業による全国100校以上での公演など、国内外で幅広く活動。

中しま りん / 箏アーティスト・箏Remedist

こうした多彩な表現活動を展開するなかで、近年は「音と人の深層」への探求を深める。

ドイツ・ハンブルク国立音楽大学提携プログラムによる音楽心理療法を学び、現地の病院で実習に参加するなど研鑽を積む。現在は、箏の持つ音響特性に加え、演奏時の脳機能や身体運動、心理的プロセスなど、多角的な視点からそのメカニズムを統合的に捉え直し、自閉症児へのセッションなど実践的なアプローチを行っている。

演奏家の枠を超え、箏を「心と身体を整えるエネルギー療法のツール」として再定義するその活動は、伝統文化の新たな可能性を広げている。

ジャズピアニストとのユニットYAMATO LOUNGE、絵本読み聞かせコラボ、マルチメディアユニットCOMNAL、ポッドキャスト番組「スナックちゃべ」のパーソナリティ、Otonamiでの寺院体験演奏など、多岐にわたる活動を通じて現代における癒しと再生を提案している。

リンク

琴線Lab HP

https://kinsenlab.com

大人のための非日常体験Otonami 箏体験

https://otonami.jp/experiences/nakashimarin-2ryomon

最新情報・イベント出演情報

YAMATO LOUNGEライブ 
日時:3月6日(金)
19時開場・19時30分開演 
出演:YAMATO LOUNGE(中しま りん/箏 、後藤魂/ピアノ)
場所:アートワインサロンEnDehors (アン・ディオール)
住所: 東京都港区新橋5-29-4 吉岡ビル 2F
最寄駅:JR 新橋駅徒歩 6分
電話番号: 03-6627-0725
※詳細はお店にお問い合わせください※