「因果応報は本当にあるのか?」を深読み!

今回読み解く記事 オリジナル
「因果応報」は本当にある?
「人に意地悪なことをすると、いつか自分に返ってくるよ」
子どもの頃、一度くらい言われたことがあるのではないだろうか。
いわゆる「因果応報」だ。
悪いことをすれば悪い結果が、良いことをすれば良い結果が返ってくる――。
実際、SNSを見ていても、誰かに災難が起きたとき、
「因果応報だ」「自業自得だ」といった言葉を目にすることがある。
でも、本当にそんな仕組みが世の中にあるのだろうか。
もちろん心理学は、「悪いことをすると天罰が下る」ことを証明する学問ではない。
ただ、人が因果応報を信じやすい理由や、実際に「自分のしたことが返ってきた」ように見える現象なら、
心理学から説明することができる。
人は「世の中は公平だ」と思いたい
その一つが「公正世界仮説(Just-world hypothesis)」だ。
これは心理学者メルビン・ラーナーらによって研究された考え方で、
人には「世の中は基本的に公平であり、人は自分の行いにふさわしい結果を得る」と考えたがる傾向がある。
善良な人には良いことが起き、悪いことをした人には悪いことが起きる。
そう考えたほうが、世界は秩序立って見える。
もし、どれだけ真面目に生きても突然ひどい目に遭い、悪いことをしても何の罰も受けないのだとしたら、
世の中はずいぶん不安定に感じられる。
だから私たちは、「きっと何か理由がある」と原因と結果を結びつけたくなるのだ。
「やっぱり因果応報だ」と思ってしまう
ここには「確証バイアス」も関係する。
人は、自分がすでに持っている考えに合う情報を見つけると注目しやすく、反対の情報は見落としやすい。
「彼女(彼)は人にひどいことをしていた」と思っていた人に不幸が起きれば、
「ほら、やっぱり因果応報だ」と記憶に残る。
一方、同じようなことをしているのに何事もなく暮らしている人や、
誠実に生きているのに不運に見舞われた人の存在は、それほど意識されない。
こうして「因果応報はやっぱりある」という信念が強化されていく。
本当に「自分に返ってくる」こともある
とはいえ、因果応報がすべて思い込みとも言い切れない。
たとえば、いつも人の悪口を言っている人がいるとしよう。
その場では仲間が集まり、盛り上がるかもしれない。
しかし、それを聞いている人は心のどこかで、
「自分もいないところで言われているかもしれない」と警戒する。
すると少しずつ信用を失い、大切な話をしてもらえなくなり、人が離れていく。
本人には、「最近なぜか人間関係がうまくいかない」としか思えないだろう。
だが実際には、過去の自分の行動が周囲の反応を変え、その反応が時間をかけて自分に返ってきている。
これは天罰でも何でもない。
人間関係における、ごく自然な因果関係だ。
自分の予想が現実をつくることも
さらに「自己成就予言」という心理現象もある。
たとえば「人なんて信用できない」と思っている人が、最初から相手を疑い、冷たい態度を取ったとする。
当然、相手も距離を置くだろう。
すると本人は、
「ほら。やっぱり人は信用できない」と思う。
しかし、その結果を生み出した原因の一部は、自分自身の態度にある。
その逆もある。
人に誠実に接し、約束を守り、困っている人を助けていれば、信用が少しずつ蓄積される。
その信用が、何年も経ってから思わぬ仕事や人との縁として返ってくることもあるだろう。
これも「良い行いをしたから神様がご褒美をくれた」と考えなくても説明できる。
結局、因果応報は「ある」のか?
では結局、因果応報はあるのだろうか?
心理学から「悪いことをすれば、いつか必ず罰が当たる」とは言えない。
ただ、自分の行動が周囲の人の感情や行動を変え、それが巡り巡って自分に返ってくることは十分にある。
人を傷つけ続ければ信用を失い、誠実に接していれば信用が積み重なる。
そう考えると、因果応報とは何か超自然的な力ではなく、
人間関係の中で長い時間をかけて起こる「行動と結果の連鎖」なのかもしれない。
「お天道様は見ている」というより、案外、周囲の人がちゃんと見ているのだ。
深読みポイント
- 人が「因果応報はある」と感じやすい背景には、公正世界仮説や確証バイアスといった心理が関係している
- 自分の言動が周囲の反応を変え、それが巡り巡って自分に返ってくることで、実際に「因果応報」のような現象が起こることもある


