「禁酒論」が見落としているものを深読み!それでも私が酒をやめない理由

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それは確かに「事実」なのだけれど

昨今、「酒は百害あって一利なし」という論調を目にすることが増えた。
確かに健康だけを考えれば、その主張には一理ある。

発がんリスクを考えれば飲まない方がいい。
睡眠の質も向上する。
肝臓への負担も減る。

私自身、酒と健康を10年以上取材してきたからこそ、その事実はよく分かっている。

だが、その一方で思うこともある。

もし酒が本当に「百害あって一利なし」なら、人類はなぜ数千年もの間、酒を飲み続けてきたのだろうか、と。

今回は、酒ジャーナリスト&飲酒コントロールアドバイザーとして、近年広がる禁酒論について深読みしてみたい。

健康は人生の目的ではなく手段である

禁酒論の多くは、健康という軸で語られる。

もちろん健康は大切だ。

私も還暦になり、健康のありがたさは日々実感している。
だからこそ運動をし、食事にも気を配り、休肝日もつくっている。

しかし、健康は人生の目的ではない。

人生を楽しむための手段である。

どれだけ健康でも、楽しみがなければ人生は味気ない。

旅行をする。
趣味を楽しむ。
友人と笑う。
好きな人と語り合う。

そうした時間のために、私たちは健康を維持しているのではないだろうか。

酒もまた、その一つである。

人は合理性だけでは生きていない

もし人間が完全に合理的な生き物なら、

夜更かしはしない。
甘いものも食べない。
無駄遣いもしない。

ところが現実は違う。

ケーキも食べるし
夜更かしもするし、
無駄遣いだってする。

これらのことは健康やお金だけを考えれば、必ずしも合理的ではない。
それでも人は、その時間に価値を見いだしている。

酒だって同じだ。

禁酒論は「健康」という正解を示してくれる。
だが、人間は正解だけで生きているわけではない。

時には少し遠回りをしながら、自分なりの幸せを探している。

酒が生み出してきたもの

私は長年、酒や酒場、酒蔵の取材を続けてきた。

振り返れば、酒を通じて出会った人がいる。
酒席から生まれた仕事がある。
酒蔵で教わった文化がある。

私は、酒そのものを否定したいわけでも、神格化したいわけでもない。
ただ、酒の先にある時間や人とのつながりにも価値があると思っている。

価値があるのは、その先にある時間や人とのつながりだ。

一杯の日本酒をきっかけに会話が始まり、
そこから人生が広がることもある。

お酒は単なるアルコールではない。
人と人をつなぐ「縁のつなぎ手」でもあるのだ。

本当に問題なのは酒ではなく「制御できないこと」

私は酒を擁護するわけでも、禁酒を否定しているわけでもない。

確かに飲み過ぎれば体を壊す。
依存症になる人もいる。
家族関係や仕事に悪影響を及ぼすこともある。

だからこそ、飲み方は大事だ。

だが、それは酒に限った話ではない。

食べ過ぎだって、ギャンブルだってそう。
仕事だって同じだ。

問題は「対象」ではない。
自分でコントロールできなくなることだ。
ハンドルを握れなくなった瞬間、それは人生のリスクになる。

「酒と健康」を説く私が、それでも酒をやめない理由

健康だけを追求するなら、酒は飲まない方がいいのかもしれない。
その事実は否定しない。

だが私は、人の幸福は健康診断の数値だけでは測れないと思っている。

笑う時間がある。
誰かと語り合う夜がある。
心を動かされる文化がある。

そして私にとって、お酒はその一部である。

だから私は「飲むな」とは言わない。
かといって「好きなだけ飲め」とも言わない。

長く人生を楽しみたいなら、
長く飲める飲み方を身につければいい。

禁酒か、飲酒か。
その二択ではなく、どう付き合うか。

それこそが、私が考える「操酒」(そうしゅ)なのである。